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とびとんDiary!

音楽のことなど

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全然関係ないけど、
私は、グールドが変わっているとか風変わりだとか
異端な演奏家のように書かれているのを見ると、
はてな?といつも思うのでした。


そしたらこの間、何かの本で読んだのですが、
”情報は、先に入った方が後を規定する。”と。
まったくそうだと感心しました。



なぜなら、私がまだちびすけで
始めてバッハのピアノのCDを聴いたとき、
それは恐らくグールドのでしたから。


そして何も不思議に思わず、
「おおっ、バッハってカッコいいかも~!」と
単純に喜んだ。


それが誰の演奏だとか、解釈によるものだとか、

まして他の゛多数派゛な演奏があるなんて
小さい脳みそで思いもしなかった。



演奏家の名前というものにもまったく興味がなかった。ただ美しい音楽をアイスクリームみたいに受け取るだけで。

演奏家という者がいて、その名前が、他人と話を分かち合う時の
共通の識別票として必要になることさえ、
私はずっと後まで気付かずにいた。


グールドの名前が特別な言葉になったのは、
彼のCDを聞いていたら、低いうなり声がして、
心霊現象と間違えて部屋を飛び出したからにすぎない。

恐怖から覚めて、「ああ、グールドのCDを聞いていて歌声がしても、大丈夫。
弾いてるひとが歌っているんだから」
と、
私の記憶には特別アラートに似て
彼の名前が入ってきた。


その時も、歌ってもいいんだー、と、
思ったぐらいだったと思う。


だからずっと「グールドのバッハ」が
当たり前になっていて、
だから彼のことを書いてあるものをあとから読むたび、
不思議でならなくなるのです。

あの演奏のどこが変わっているんだろう? と。



でも、実はつい2年ばかり前、それを知った。
たまたま、教室の他のレッスン室から、
バッハが聞こえてきたから。


その時の驚きはことばに出来ない。


ただ、呆気にとられながら、
これが古典の演奏というやつなんだ、
と、
激しく理解した。



あれが゛正当派゛なら
まさにグールドはびっくりだ。



正当な、セピア色の演奏。
グールドの、生き生きとした生命力にあふれた演奏。



私には、あんな調ったセピアの音色は出せない、
出すためにこころにセピアフィルターもかけられない、

とあっさり呆然と降参したのを覚えている。

だからなんだって訳でもないんだけどー



そんなグールドファンも、世の中にはいたりするのでした。

ってだけのお話でした。

長々と変な話ですみません。
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