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なにしろ汗がとまらないです。
でも、今年はオリンピックイヤー。
テレビを付けると、なにがし、頑張ってる人達のニュースやインタビューがやっているので、
私も頑張ろう!って気力が出ます。
毎年毎日オリンピックやってたらいいのに。
エンドレスオリンピック~(おいおい)
日暮さん(こち亀)がメインキャラになってしまう。PR -
私は、グールドが変わっているとか風変わりだとか
異端な演奏家のように書かれているのを見ると、
はてな?といつも思うのでした。
そしたらこの間、何かの本で読んだのですが、
”情報は、先に入った方が後を規定する。”と。
まったくそうだと感心しました。
なぜなら、私がまだちびすけで
始めてバッハのピアノのCDを聴いたとき、
それは恐らくグールドのでしたから。
そして何も不思議に思わず、
「おおっ、バッハってカッコいいかも~!」と
単純に喜んだ。
それが誰の演奏だとか、解釈によるものだとか、
まして他の゛多数派゛な演奏があるなんて
小さい脳みそで思いもしなかった。
演奏家の名前というものにもまったく興味がなかった。ただ美しい音楽をアイスクリームみたいに受け取るだけで。
演奏家という者がいて、その名前が、他人と話を分かち合う時の
共通の識別票として必要になることさえ、
私はずっと後まで気付かずにいた。
グールドの名前が特別な言葉になったのは、
彼のCDを聞いていたら、低いうなり声がして、
心霊現象と間違えて部屋を飛び出したからにすぎない。
恐怖から覚めて、「ああ、グールドのCDを聞いていて歌声がしても、大丈夫。
弾いてるひとが歌っているんだから」
と、
私の記憶には特別アラートに似て
彼の名前が入ってきた。
その時も、歌ってもいいんだー、と、
思ったぐらいだったと思う。
だからずっと「グールドのバッハ」が
当たり前になっていて、
だから彼のことを書いてあるものをあとから読むたび、
不思議でならなくなるのです。
あの演奏のどこが変わっているんだろう? と。
でも、実はつい2年ばかり前、それを知った。
たまたま、教室の他のレッスン室から、
バッハが聞こえてきたから。
その時の驚きはことばに出来ない。
ただ、呆気にとられながら、
これが古典の演奏というやつなんだ、
と、
激しく理解した。
あれが゛正当派゛なら
まさにグールドはびっくりだ。
正当な、セピア色の演奏。
グールドの、生き生きとした生命力にあふれた演奏。
私には、あんな調ったセピアの音色は出せない、
出すためにこころにセピアフィルターもかけられない、
とあっさり呆然と降参したのを覚えている。
だからなんだって訳でもないんだけどー
そんなグールドファンも、世の中にはいたりするのでした。
ってだけのお話でした。
長々と変な話ですみません。 -
ピアノの演奏スタイルをあれこれ書いてあるのを見掛けると、
なんだかなーと思ってしまいます。
確かに、あるスタイルから、独特の音色が出たりして、
そんな音を私も追求したい!って言うんなら、
そういう情報も、役に立つのでしょうが・・・
ピアノを弾くのにまして正解なスタイルなどあるものですかー!
っていつも思ってしまいます。
常々思うのだがピアニストは視覚的職業か否か?
視覚的にみめうるわしいピアニストと、
視覚的にあちゃーなピアニスト、
腕がまったく同じなら同じ人気を得られてるか?
ピアニストは素晴らしい音楽を聴かせてくれる職業では、ないのか?
たとえ足の指で演奏してようが
ブリッジをしてひっくりかえって演奏しようが、
頭の上にトーテムポール乗せていようが、
それで素晴らしい演奏なら、
何がなんだって言うのですかー!
ピアニストは、視覚的職業か聴覚的職業かどっち!?
…と、
またひとり鼻息を荒げてしまうのでありました。
その点、口紅なんて買ったことない、そんな暇があったら練習する、とおっしゃっていた
内田光子さんは、
勝手に我が同士!なのです(笑) -
『世界のピアニスト』という本を買って読んでいます。
しかし……
おかしいの。といつも思う。
゛誰それのコレコレの曲の演奏は~゛
速すぎる、遅すぎる、
重すぎる、軽すぎる、
etc.etc.…
って、なんだろうって。
曲を弾くのに゛正解゛とか゛正しさ゛なんて、
あるんだろうか。
私はいつも不思議です。もちろん、楽譜に速さが明記してあることもある。雰囲気も。
だけど自転車や電車の運転じゃないから、
速さがあえばいいもんじゃないし、雰囲気も、その雰囲気をどう捉えるか感じるか、
それはその人のきわめてパーソナルな人生と
切り離せないと思うからです。
記録装置がなかった時代の作曲家の音楽は
作曲家が死んじゃった時点で
完全なオリジナルはなくなり、゛正解゛が消滅するのでは、
そして、そこから、新しい創造が当たり前に始まっていくものでは、
と私は感じてしまうので、
いつも違和感。
もし私の曲を、誰かが私の好きなその曲の感じより、大袈裟に、あるいは明るく、あるいはなんだか意味不明な感じに
たとえ演奏したとしても、
私は別に、ああそういうのもあるんだなあって
思うだけなんですが…。
偉大な過去の作曲家たちは、
そんな寛容ではなかったのかなー。
どうなのかなー。
なんでもありだと思うんだけどなー…。
しかも、(関係ないんだけど)エラい権威のある人が「なんでもあり」をすると、
おおっ!って褒めちぎり、
まったく同じようなことを権威者がない者がすると
変わり者扱いされたりするのはなぜだ~。
などと、ひとり電車の中で勝手に鼻息荒げてみたり。
別に、この本がそうだって言いたいんじゃないんですけど。
グールドの章など真剣に読んでしまいました。 -
諸般の事情があって、
コンポを新しく、買ったのですが、
うーーーーーーーん!
CDを聞くぶんやLINEで聞く分には全然問題がないけど、
LINEで録音した音が
ぶっ飛びで、違います。
ああ・・・
こういうところで、コンポのお値段の差が
出るのですねえ(泣)
成る程。
納得でございます! -
ひさびさにリンクページを確認したら、
リンク切れ続出状態になってました。
うわー。
うっかりミスです。
ご迷惑をおかけしました!
それにしても。
音楽の泉はどこにいったんだろう。
いまさらだけど。
なにかサーバーでも移動中なのか、リンクトラブルかと思って
ずっとそのままにしていたら、
すっかり、そのまま行方不明です。
はて・・・? -
来週火曜日
NHK教育にて
「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 -グレン・グールド 鍵盤のエクスタシー-3」
放送日 :2008年 5月20日(火)
放送時間 :午後10:25~午後10:50(25分)
http://cgi2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-05-20&ch=31&eid=8838 -
私はパソコンWindowsですが、
XPだのVistaだの、出てしまったので
すっかりバージョンが型落ちになってしまいました。
それで最近困るのが、「これこれは、WindowsXPまたはVistaでしか
動きませんよ。てへっ。」
っていうやつ。
えーっと・・・
ケータイからUSBもつなげないのですか?
まいったなあ。
このあいだダウンロード購入した音楽も、
「これこれはメディアプレーヤー10じゃないと
CDに焼けないのよ。てへっ。」
というので、
メディアプレーヤー10をダウンロードしに行ったら、
「メディアプレーヤー10はXP以上じゃないと
動かないんだよ。えへっ。」
と言われた。
おい・・・。
えへっじゃないでしょ。 -
無性に眠いです。
何か砂のように眠ってます。
大丈夫なのだろうか。
砂の妖精になれそうなこの頃です。
春…だからなのかな。春はいつもねむいです。 -
本当に風が強いですね。
春一番。
こんな時に限って、
ピアノの鍵盤の上にかぶせるフェルトを
すみにころころ丸めておいたままにしていたので、
鍵盤がじゃりじゃりしました。
かぜのやつ、家の建物の中の、掛け布の中の、ピアノの中の、鍵盤の上にまで
どうやって砂をおいておいたんだろう。
ワープだな。 -
同じ楽団のCDを探すのが大変です。
BOOK OFFでなんとなく買ったバッハのCDの、
ムジチ・ディ・サン・マルコというところの
演奏が気に入ったのですが、
なかなか次の1枚につながりません。
どうも私は、きっちりというよりは、おおざっぱで生き生き、という
演奏の方が好きなので、
一般受け度が低いような演奏家が気に入ること多いみたい。
マイナー受難なのです。
やれやれ。
☆
追記
マイナーなのは、私の発想力の方でした。
英語・・・じゃないな、なんだろう、この言語。ともかく
Musici di San Marcoという外国語で検索したら
さくさくひっかかりました。
いったい・・・。
イタリア語・・・かな・・・たぶん・・・。(自信なし)
ともかくこれでCDが見つかるから、いいや! なんでも!